昭和44年06月15日 夜の御理解



 今日お昼から久富先生ところの、久富先生のお母さんとそれから、あちらの奥さんのお父さんの式年祭を併せて奉仕させて頂きました。いわば真心込めて今日は子供達が日曜でしたから全部集まりました。ほんとにあのもう立派に成長した子供達ばかりが、息子が五人ですか、娘が三人でした四人でしたか。皆んな今日集まりましてから、おかげ頂きましたが、御理解に「嘘から出た真」という事を頂きます。
 誰でもあのそう真というのは簡単に出せるものじゃないですけれども、まぁお先祖祭りをするとか、お父さんとかお爺さんとかと言う時には、やっぱりこれはお爺さんが大変あのお酒が好きだったそうですからお酒を。そしてそれへ燗までして出されましたんですけれども、そう言う様なお祭りを頂いて何がなしか子供達でも、信心の薄い子供達でもあぁ有り難いとこう感じただろうとこう思うんです。そこにあの期せずしてまぁいうなら、嘘から出た喜びというかね。
 いうなら真が少しこう出て来たのですから、それを育てていくの信心だということでした。誰でも信心始めに初めから真で助かるから、真心だからといわれても、そう真やら真心が簡単に出るとは思いません。それはおかげ頂きたいばっかりに参りよりますという人も沢山あります。けれどそうしておる内にです。これがあれが真というものであろうかと、自分で感じるような時がありますから、その真を育てていくということが信心なんです。いよいよ明日から夏季信行が始まります。一時から。
 まぁいうならその熱気を帯びた若い方たちの先唱で、まぁ広間いっぱいに元気な大祓いが祝詞が奏上されて、五十日間向こう五十日間修行が続けられる事であろうとこう思うが、初めから本当にそのう夏季修行の有り難いと言うことやら、また本当にその生き生きした心があるとは思いませんけれども、まぁ言うならばしいら元気でも良いですから、ひとつ元気を出して、その御祈念に参加させて頂いておる内にです。
 私は本当の元気な心と言った様なものが出て来るのじゃなかろうか。まぁ今日昼頂いた御理解から頂きますとですたいね。いうなら嘘から出た元気と言った様な事もね言える訳です。初めの間はそうでもなかったけれども、あの熱気に例えばあの一生懸命の皆んなの御祈念の中に入っていきよったら、いつの間にか自分まで元気なものが出て来た。その元気な心をいわば育てていくという事が、信心だということも言える訳です。
 今日久留米の井上さんが、自宅でいよいよ明日からの夏季信行の事を、お願いしておられた。そしたらもうあの小さなお社が、こう何ち言うですか開扉、開扉がされたと言った様な感じで、大きなおいさみを頂かれたという。いわゆる神様は勇んでござるのですから、私共は勇まにゃいかん。と言うてなら初めからそのう勇こころが、誰しもの上にあるとは思われない。
 そこで私共はしいら勇みでも良いから、勇ませて頂いておる内に、本当の勇み本当の喜びと言った様なものに触れていけ、それをひとつ育てて行くと言う事が、信心だと言う風に分からせて頂いたらいい。そういう意味で明日から午後の一時からでございますから、どうでも全員参加させて貰うて、ひとつひと修行させて頂きたいとこう思います。どうぞ。嘘から出た真。嘘から出た元気と言う様な事も言えるという事を申しましたですね。
   どうぞ。